やばみちゃんのやばみ

決して腐りませんよ

信仰の現場

昔はとても面白いものを書いた人が自分より若い作家だったりすると落ち込んだりしていたんだけど、最近、まあ自認は邪鬼Aというか、パブリックエネミーの末端のショッカーでかまわん!左翼のモブ、わたしは雑草だ!

つまり、名前はいらん!みたいな開き直りが出てきて、自意識過剰よりは大変よいことだ、と思う。

全体主義みたいで嫌か?とも思うんだけど、

私が言ったことは誰かが以前に言ったこと、

私が言わなくても誰か、または誰かたちがいうことだった、私は流れ込んできたものを再生するだけだ、私はクリエイトしない、コラージュする。というのはまあ、私がなにがなんでもやらないと、れきしになをのこすのだ、とかおもってるよりましよね。

某クソエ◯ンさんのツイートを読んでいると、なんで簡潔で美しいんや、機能的だし自意識過剰じゃないぜ、もうわたしのようなぽんこつはしゃべんなくてよい、一生黙るよ、みたいな気分になるます。

別に卑屈なんじゃなくて、うまくやれる人がやればよいと思うわけです。金が絡まないからブログやツイッターという媒体を使う、別に名誉欲とか自己表現欲はない、ツイケシもする、みたいな方と見た、ので無理強いはしないんだが、某廃◯氏の言葉を必要としている人が必ずしも日本語使いでなくてネットやってるとは限らないと思うと、心底もったいねえな、と思う

小説書いて賞とって海外で出版してもらってくれよ、

書けないけど読める人というのがいて、わたしは1日5時間から10時間くらいなんか読んでるから、おもろ!と思ったらぜったいみのがさないんだよ

わたしの目に狂いはないんだよ、どんなマイナー文芸誌の端っこに出てた人でも、わたしが目をつけておいた作家はのちのちすごいゆうめいになったりするんやで、まあそのあとレイシストになったやつとかたまにいるから狂いはあるんだけどな、

はい◯きさんも本かけばよいのだ、ガンガン思想をバラまいてハ◯エキ思想を蔓延させればよいのだ、

ツイレディとかにHP削られている場合ではねぇ