やばみちゃんのやばみ

決して腐りませんよ

魚喃キリコの漫画は物凄く好きだけど、それ以上に緻密で丁寧だった、とうきょうの地名と保坂

ブログ書いてたらストレスで腹が降ったり喉が痛くなって声が出なくなったりしている

魚喃キリコの漫画、昔から好きだったのだが

評価はそんなにしてなかった、感傷に作用する青い漫画なんだと思って読み流しているところがあった。この方向性に純度を高くして行って表現として洗練させても新しいものは生まれないし今の時代に既に存在する感情の型に沿って作られたものって楽しいか?作るにせよ読むにせよ

ストロベリーショートケイクスは緻密だったけど他はチープでありがち、そこがすきで、しかし、すごくはないと思っていた。そんなことないぞ!すごいぞ!凄さの理由は話すと長くなるからまた書くよ

ブルーは、よくできていた、異様に絵が上手くて、思想はない、普通になりたくなって女の子は去っていった。それが昔は不満だったんだけど、なんか自分こそなんも考えてなかったんではないだろうか。読み返してたら、すごく良かった、普通になりたい、を口実にして、普通じゃないものを満たしている、別れて完全になる関係を求めて離れていく、というような倒錯を感じる。ベタな意図で書いてる可能性もあるか?あの人は天然なのか策士なのか、たぶんどっちもだろうけど高校の時どハマりしてたころは策士じゃないと思ってた。いや、うまいよ。

しっかし、しかし、魚喃キリコ漫画のセックスワーカーはカネもらっとんなぁ、ふてぶてしいから売れんのもあるだろうが、三十万一ぱつでもらっておいてさんざん客の悪口言うのは素晴らしいよ、しかし1接客1800円でやってる人なんかごまんといるの知ってるから胃が痛くなった、私も千円でハンドヘルスやってたことあるし。

部屋が狭いからダンボール6箱分寄付したのに、経堂の古本屋の百円棚で20冊くらい買ってしまった

(いま、経堂の、って書きそうになって、東京の地名だとなんで区とか市とかでもなく駅名とか地区名でもそのまま書いてしまおうとするんだろうと気になった。私は地方出身で転勤族で10歳までに7回引っ越してるのだけれど

一関や半田は岩手とか愛知とか、とくに一関なんてどうせ通じないだろうと思って東北、などと自分で言う時あるけど東京の地名はやたら細かくても通じる気がしてしまう、つい、住んでるからとか関係なく、渋谷や新宿については地方住みでも知っとけという嫌な圧がある。それとは別に、東京の地名には、よそよそしさ、どこまでいっても誰のものでもない、みたいな空気がある気がしている、だから、どこでもない場所、みたいな感じで、内輪っぽくなく個人ぽくなく、公共の記号っぽく、経堂、赤羽、渋谷、とかあとは上北沢、とか口にすると、つめたいような、コンクリみたいな静かな気持ちになる

都内に元々住んでた人はこんなこと感じないのだろうか?)

保坂和志ばかり読んでいるとバカになる

この世の普通の言葉の使い方に戻れなくなるぞ